ブリッジSE・開発ディレクターが所属する、DX事業本部 ソリューションアーキテクトチームのマネージャーとして活躍する浅草にインタビュー。
海外駐在やフリーランスなど、多彩な経験を積み重ねてきた彼女に、現在に至るまでの経歴や仕事への思い、チームのことについて聞いてみました。
プロフィール
- 所属:DX事業本部 ソリューションアーキテクトチーム
- 職種:ブリッジSE
- 趣味:旅行、料理、読書
- 経歴:
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・広告代理店に入社し、Webデザインやディレクションを担当
・独立し、フリーランスとしてディレクションやシステム開発を行う
・IT企業O社に入社後ベトナムに駐在し、オフショア開発事業の拠点立ち上げを行う
・帰国後IT企業M社に転職し、大規模な受託開発のプロジェクトマネージャーを担う
・再びフリーランスとして活動
・2022年9月 株式会社デザインワン・ジャパンにジョイン
現在の仕事とこれまでのキャリア。
ーはじめに、浅草さんの現在の担当業務を教えてください。
ベトナムにあるグループ会社NitroTech Asia(以下「NTA社」という)と共に受託開発を行う仕事をしています。ブリッジSEと呼ばれる職種ですね。ブリッジSEとは一般的に、オフショア開発(※1)において海外の開発企業と国内の企業をつなぐシステムエンジニアのことを言います。ただDOJのブリッジSEは一般的なブリッジSEと比較すると業務範囲が広く、プロジェクトマネージャーやプリセールス(※2)のような仕事も担当していますね。
また私はブリッジSEのチームであるソリューションアーキテクトチームのマネージャーを務めています。そのためプレイングマネージャーとして、ブリッジSEの仕事を担当しながら、チームメンバーの稼働状況管理や担当しているプロジェクトのサポートもしています。
※1 オフショア開発:海外の企業へ開発業務を委託すること
※2 プリセールス:商談の際、営業担当に同席・同行し、ITの専門知識を生かして営業をサポートする職種
ーマネージャーをしながら、自分でもプロジェクトを担当しているんですか?
はい、私がメインで進めているプロジェクトもあります。マネジメントをするだけでなく、自分でもプロジェクトを担当したいので、DOJに入社する前の面接でもその希望を伝えました。
ー浅草さんはこれまで様々な仕事を経験していますよね。新卒ではどんな仕事をしていましたか?
地元仙台の広告代理店に入社しWebデザイン業務からキャリアをスタートしました。デザインの仕事を選んだのは、元々絵を描くことが好きだったのでデザインに興味があったのと、当時Webデザイン業界に勢いがあったことが理由です。入社後しばらくしてから業務範囲が広がり、デザインだけでなく、フロントエンドエンジニアやSE、ディレクターなどの仕事も任せてもらいました。
ーその後はどんな仕事をされたんですか?
その後は独立してフリーランスになりました。最初は独立は考えていなかったのですが、求人を見るとSES(※3)のような働き方が多く、それなら独立して個人で始めてみても良いかなと思ったんです。仕事内容としてはWebデザインをメインに、開発部分も請け負っていました。
※3 SES:System Engineering Serviceの頭文字をとった略称であり、企業がクライアントに対してエンジニアの技術提供をするサービス。SES企業から提供されたエンジニアは契約内容に沿った業務を遂行する。
ー独立にあたって不安はありませんでしたか?
多少不安はありましたが、開発やWeb系の交流会に参加してフリーランス仲間を作ったり、先輩に話を聞いたりしたことで、不安は減っていきました。その後転職するまでの約8年ほど、フリーランスとして働きました。
ベトナムでの拠点立ち上げ。試行錯誤の末、社員100名の組織へと拡大。
ーなぜ転職されたんですか?
知人が転職で中国勤務をしていたので、私も知人を訪ねて中国に行き、オフィス見学等もさせてもらったんです。その時に「人生で一度は海外勤務を経験してみたい!」と思いました。そこから海外で働くこと、特にアジア圏での仕事に興味が出てきたので、海外赴任の仕事に就くため、転職を決めました。
ー転職後はどんな仕事を担当されたんですか?
IT企業O社に転職し、オフショア開発事業/ベトナム子会社立ち上げを担当しました。入社後ベトナムに駐在し、拠点立ち上げから、現地のエンジニアと一緒にシステム開発、組織マネジメントも担当しました。
ー海外での拠点立ち上げはかなり大変だったのではないですか?
すごく楽しかったです。元々は開発・制作側として、開発とマネジメントを担当する予定で赴任しました。実際に現地に行ってみると、オフィスは中心地から離れた郊外に間借りの状態だったので、まずは、責任者の方と新しいオフィスを探すことから始めました。日本人スタッフも何人かいたのですが、退職等でどんどん減っていきました(笑)立ち上げから1年半ほど経った頃には、書類上、子会社の代表になっていたので、実際のプロジェクトを回しながら、契約書へのサインなどシステム開発以外の業務も行っていました。業務量も多く、勤務時間も長かったので大変ではありましたが、それ以上に楽しかったという思いが強いですね。
ー拠点立ち上げの中で何か印象的だったことはありますか?
様々ありますが、最も印象に残っているのは「組織を100名まで拡大」させたことです。私がベトナムに赴任した当初は10名弱の社員しかいませんでしたが、そこから数年で社員を100名にまで増やしました。ベトナム人をどう採用するか、育成はどうするかなど、組織を拡大するために試行錯誤を重ねたので、強く記憶に残っています。様々な提案に対して会社側もやってみなよと何でもやらせてくれたので、色々なことに挑戦できました。
ー数年でそこまでの規模に拡大させるなんて、すごいですね!
ベトナム駐在中に浅草さんが行ったことの中で特に「これは頑張った!」と感じていることは何ですか?
これはやったぞっていうほど大きくはなく、全然小さいことなんですけど、100名全員の名前と、その人が何を得意とするのかを全て把握していました。やっぱり自分が採用したので、一人一人に思い入れもありましたし、得意なことを活かせるようなプロジェクトに出来るだけアサインしたかったので。そのため、顧客満足度も結構高かったと思います。何か問題が起きた際もすぐに解決策を出し、動ける体制にしていたので、ほとんどのお客様が継続的に契約してくれていました。
ー帰任は辛かったのではないですか?
実は帰任は私が希望を出しました。3年半ほど駐在し、このまま一生住んでも良いと思うほどベトナムでの生活は楽しかったです。しかし後半、体調を崩すことが多くなり、医療体制等を考えるとそのまま住み続けることに不安を感じたので、タイミングを見て日本に帰りました。ただ、帰国後も日本に1カ月、ベトナムに3カ月など、日本とベトナムを行き来して仕事をしていました。
ーなぜ転職を決めたのですか?
次第に業務がマネジメント中心になってしまい、自分がSEとしてプロジェクトに関わる機会が少なくなってしまったんです。自分でもプロジェクトを推進したい気持ちがあったので、転職を決めました。
揺るぎない現場志向。SEとしてプロジェクトに関わり続けたい。
ーその後はどんな仕事をされたのですか?
IT企業M社に入社し、受託開発のプロジェクトマネージャーを務めました。
ー受託開発を行う会社の中でもM社に入社した決め手は何でしたか?
海外駐在の経験を活かしたいと思っていたので、グローバルな環境があることが決め手になりました。
ー前職と比較して何か違いはありましたか?
扱うプロジェクトの規模が大きくなりましたね。前職のO社では基本的にプロジェクト費用は500万円以下だったのですが、M社では平均が2000~3000万円で、1億円を超えることもあり、開発期間も1年以上かかることが多かったです。
また、プロジェクト自体も開発・納品で完了というよりは、グロースフェーズも発注元と協同で進めるものが多かったです。会社の方向性がSIerではなくコンサルディングだったので、意図的にそういう案件が多く、運用設計やユーザーインタビューを一緒に実施することもあり、自分の仕事の領域もかなり広がりました。
ー本当に多様な経験をされていますね。M社を退職した理由は何だったんですか?
まず一つは非常に残業が多く激務だったからです。裁量労働制だったのですが、休日も返上して働いていたので代休がどんどん溜まっていくような状態でした。上長にも色々と相談・提案しましたが、改善はされませんでした。もう一つは、マネジメント業務も任せたいと打診があったのですが、現場業務だけでかなりの長時間勤務だったので、マネジメント業務と両立出来るイメージが持てませんでした。実際に両立している人は社内におらず、現場かマネジメントかどちらか、という感じだったので。私はマネジメント専任になる考えはなかったので、退職を決めました。
ー退職後、すぐに転職はしなかったんですね?
もう一度地元の仙台でフリーランスとして働きました。M社に在籍中、フルリモート勤務に切り替わったのを機に東京から仙台に戻っていたんです。一旦会社を辞めて本当に自分がやりたいことは何かを考えたかったので、DOJに入社するまでの半年間は案件数もセーブして、自分の時間を取るようにしていました。
DOJへの入社。これから一緒につくっていく。スタートアップフェーズだからこそ面白い。
ーDOJのことを知ったきっかけは何でしたか?
DX事業本部の採用説明会の広告を、偶然見かけたことがきっかけです。その広告に書いてあった「ベトナムオフショア開発」というワードに惹かれて、説明会に参加しました。
ー説明会で話を聞いてみてどうでしたか?
仕事内容はイメージ通りでした。聞いてみて特に良いなと思ったのは「DX事業本部は比較的新しい部署なので、まだまだこれから色々なことを整えなくてはならない。課題はたくさんある。」ということでした。組織としても事業としてもスタートアップフェーズであるところに面白味を感じたんです。
ー入社の決め手もその点ですか?
そうですね。加えて「働き方の自由度はありつつも、勤怠はきちんと管理されている」という点も決め手ですね。前職を辞めた理由の一つは長時間労働とそれが是正されない管理体制だったことなので、労働時間はきちんと管理してもらう方がいいなと思いました。
ー入社後に感じたギャップはありますか?
良い意味でなんですが、DX事業本部は思っていた以上に整っていない部分が多かったことですかね(笑)人手不足だったので、品質向上の仕組みや技術向上の施策等、アイデアは色々あるが手が付けられていない状態でした。また、私の入社前からいた既存メンバーは、ブリッジSEの前は自社サービスであるエキテンのWebエンジニアだったので、受託開発の経験がなく、整えるのが難しい部分があったんだと思います。私が入社してから受託開発において必要な資料を揃えたり、プロジェクトの進め方を変えたりしました。整えることがたくさんある分色々な提案ができて、すごくやりがいを感じました。
ー浅草さんの提案により何か変化はありましたか?
まだまだな部分もあると思いますが、過去と比較して案件の幅が広がったかなと思います。以前は、お客様が開発会社であったり、システム開発の知識があるような会社からの案件がメインでしたが、今は、DXやエンジニア、開発などのキーワードを持たないお客様とゼロからすり合わせて作っていくような案件や大規模なプロジェクトも受けられるようになりました。
プロジェクトの白紙危機も、諦めずに乗り越えてきた。
ーDOJに入社してからの1年で最もチャレンジングだったことを教えてください。
メンバーの一人が進めていたプロジェクトが最近だと印象に残っています。先方の担当者さんと意見をすり合わせながら進めていた大規模なプロジェクトなのですが、ほぼ完成くらいのフェーズで、先方の社長さんから「イメージと違う。契約を止める。」と言われてしまったんです。ただ私たちとしてはどうにかしたい気持ちがあったので、私と営業担当も加わり、プロジェクト進行方法の変更案やUIの改善案を作るなどして、もう一度提案書を作り込みました。改めて社長さんへプレゼンを行ったのですが、提案書を社長さんにお見せすると一瞬で「継続します」とのお言葉をいただけました。これはすごく嬉しかったですね。諦めずにメンバーみんなで考え、アイデアを出し合ったプロセスも楽しかったです。
ーそれは嬉しいですね。
ちょうどその頃に私自身もマネージャーになり、そこからは大規模プロジェクトは2名体制へと変更しました。そのため、このプロジェクトもメンバーと私の2名体制に変更したんです。実際の開発を行うNTA社側にも課題を感じるとメンバーから報告があがっていたので、私自身も参加してプロジェクトの進め方を大きく変更しました。その結果開発のクオリティが上がり、メンバーからも「自分の問題点がクリアになった」との言葉があり、内部の課題を改善できたのも嬉しかったですね。
ーどのようにプロジェクト進行を変えたのですか?
アサインメンバーは変えずに開発手法を変更しました。今までウォーターフォール開発(※4)で進めていたので、それをアジャイル開発(※5)の一種であるスクラム開発(※6)に変えたんです。
※4 ウォーターフォール開発:要件定義を詳細まで固め、定義した内容に沿って順に工程を進めていく開発手法。
※5 アジャイル開発:短いサイクルで、優先度の高い要件から順に開発を進めていく開発手法。柔軟な仕様変更や短期間でのリリースが特徴。
※6 スクラム開発:アジャイル開発の一種。短いサイクルの中で、計画・開発・レビューを繰り返し進めていく開発フレームワーク。
ー開発手法の変更でクオリティも大きく変わるんですね。
そうですね。スクラムの方がアサインメンバーとの相性が良かったのもあります。また、スクラム開発はミーティング回数が多いという特徴があるので、それによってコミュニケーションが増えたことがクオリティの向上に繋がったんだと思います。
またスクラム開発はマネジメント側とエンジニア側でそれぞれ守るべきルール・責務が定められているのですが、その認識を合わせたことも、改善できた要因だと思います。手法変更の際に仕切り直しとして、マネジメント側とエンジニア側全体でのミーティングを設け「私たちはこれらのルール・責務を守るから、みなさんはこれらを守ってね」と改めて話したんです。そしてお互いがそれをしっかり守り抜いたからこそ、うまくいったのかなと思います。
仕事への思い。大切なのはゴールを持つこと。
ー仕事の中でやりがいや面白さを感じるのはどんなときですか?
昔から変わらないのは、メンバーと協力して何かを作り上げていくときですね。一人で作業するのも好きですが、メンバーとアイデアを出し合い課題を解決したり、協力していると感じられる時がとても楽しいです。要件定義をお客様と一緒に考えながら進めて、それを設計に落とし込んでいくところもすごく好きですね。
ーマネジメントについてはどんなところが面白いですか?
マネージャーはメンバー全員のプロジェクトを見ていく必要があるのですが、プロジェクトごとに問題を見つけて対策を打っていくことが面白いです。特に問題が多いプロジェクトには、なるべく先回りをして改善策を考えるようにもしています。問題には様々なケースがあってそれに対する動き方も様々なので、状況に応じてどう動くかを考えるのがとても楽しいですね。
ーつらいと思うことはありますか?
年齢を重ねるうちに無くなってきた気がします(笑)昔は心無い言葉を言われて落ち込むこともありましたが、今はあまり気にしなくなりました。また今はつらい気持ちになっても、それを引きずらないよう改善に向けて何をすべきかを考えるように意識しています。
ー仕事をするうえで大切にしていることがあれば教えてください。
きちんとゴールを持つことですかね。システム開発について詳しくないお客様とのプロジェクトや研究開発系のプロジェクト、社内プロジェクトなど様々なプロジェクトがありますが、最終的にどうなりたいかが明確でなかったり、みんなのイメージがバラバラであることも多いです。なのでゴールを持つこと、そのゴールを関係者と認識を合わせることは大切にしています。またマネジメントや自分の成長という面でも、ゴールを定めそれを実現するためのステップを作るというのは大切にしてますね。
DX事業部への思いと今後。プロジェクトの幅を広げていきたい。
ーブリッジSEチームでは「勉強会」を隔週で行っていると聞いたのですが、どんなことをしているのですか?
最新の技術や業界で話題のニュース、担当プロジェクトで起きた問題に関連する事柄など、何か新しい情報を共に学ぶということをしています。毎回メンバーの一人が講師として発表するのですが、何をテーマにするかは発表者の自由です。メンバーそれぞれがプロジェクトを持っているので、新しい発見がたくさんあります。
ーチームメンバーについてどんな印象を持っていますか?
柔軟で色々なことを受け入れてくれる印象があります。私が入社してからこれまで様々な提案をしてきましたが、メンバー全員が「やってみよう!」と受け入れてくれました。誰かが何かを話すときに色々と質問して積極的に聞いている姿からも、そう感じています。
ー今後DX事業本部でどんなことに取り組んでいきたいですか?
プロジェクトの幅をもっと広げていきたいですね。規模や予算の大きさはもちろん、最近で言えばChatGPTなど最新技術を使ったプロジェクトも、どんどん増やしていきたいです。
ーDX事業本部はどんな人に向いていると思いますか?
色々なことをやってみたい人ですかね。受託開発はプロジェクトによって求められることが違うので、「これしかやりたくない」という人は難しいのかなと思います。DX事業本部では組織改善などプロジェクト以外で動くこともあるので、色々なことに関わってみたい、挑戦してみたいと思える人が、メンバーになってくれたら嬉しいですね。